大庄屋
●請免施行後、貢納を主たる任務とする。その他郡内一切の勘定、人事、用材割当、人夫課当、農民の請願伺い、公事訴訟などを扱った。●日野郡内の構(支配区域))は時代により二〜四構にわかれるが、天保以降は下黒坂以南が奥構、北は口構となる。●安政五年より霞・二部に郡役所が置かれ、自宅では執務せず出勤制度となる。
名代
●鑪経営者の代理人。鑪師が在役人を兼ねているときは、雇用人の中から代人を立てて村方との諸契約に当らせた。
手代
●事務系職員。■明治期近藤家では、根雨本店10名内外、大阪出店10名内外。各鉄山本小屋詰は合計50人位(一鉄山に5〜6人)。内、鉄山支配人、帳方、外勤、大鍛冶詰其他の役割がつけてあった。
■鉄山手代の仕事は、砂鉄、炭、米などの受取、早朝山内見回り、夕食後帳付場での翌日の仕事の打合せ、夜分5日ごとに出荷用割鉄掛け改めと包立、それに鑪場細鉄拾い、山内住人への米、塩噌貸付、月に一度は山配と共に釜回りなど。
抱子(かかえご)
●経営する鉄山と雇用契約を結び、賃銀・扶持米を受けている職人。
山配
●山支配は山内の長役で、山内諸人は皆、山支配の下にいる。■仕事は日雇の配置、高殿の炭・小鉄・焼木・釜土の有無の他、毎夜元小屋へ出かけ、翌日の山内仕事の打合せ、帰りには欠落人の有無を確める。■大雪時分は元小屋から高殿までの道を踏みあける。道橋の修理、大炭出しの山子への合力。小炭使いきりには小炭頭への助精など。■毎代火立日(鑪操業二日目)前後には釜回りをする。
鉄山手代
●砂鉄、炭、米などの受取、早朝山内見回り、夕食後帳付場での翌日の仕事の打合せ、夜分5日ごとに出荷用割鉄掛け改めと包立、それに鑪場細鉄拾い、山内住人への米、塩噌貸付、月に一度は山配と共に釜回りなど。
鋼造
●鉧を割り、破碎面を肉眼で見分け、硬度、含有量、品質の斉整をみて等級を決める職人。●大阪にも折屋と称する鋼造店があり、また近藤家では要請により地元から出店へも職人を派遣したが、明治中〜後期には山元各鉄山に5〜6人の職人をおき、殆ど地元で折入れするようになり、製品は12貫目入り木箱を菰包として出荷したが、種目は10〜20種にわけられ、最高の鋼は「極稀」とされた。
小鉄洗い
●並洗で納められる砂鉄を洗いなおして純度を高める職人。
■松・杉の厚板で樋をつくり(長さ三間・横三尺・深さ一尺)精洗する。一回に140〜150貫、一日に10回位。
村下(むらげ)・村技
●たたらの技師長。砂鉄を爐内で熔解するにあたり、時々の火気の放色、または流出する鉱滓、熔解した銑鉄の柔軟や硬固、または粘着性を判断酌量して、投容の砂鉄を加減する。●釜土の吟味と構築、砂鉄の品質の見定めと投入量、鉧の品質の量の見定めなどすべての責任をもっている。
■村下・炭坂の勤め方/常に小鉄を煎じ置き、夏は戸外で乾かして焼木は使用しないこと。大炭の善悪を確かめる。番子賃銀の贔屓をしない。高殿の諸役人の○・不浄を改め、女人を高殿に長居させない。操業中は昼ねて夜は起き、家に帰らぬこと。
炭坂
●副村下。上を司る村下は首座。下を司る炭板は次座。
炭焚
●爐に大炭を投入する二人の工夫。
番子
●天秤吹子を左右交番に踏み風を送る者。■六人を定員とするが支のあるときは山子その他の職人をあてる。■番子頭は番子庄屋。番子賃に上・中・下がある。■二つ吹(小天秤)は六人、四つ吹(大天秤)は12人。釜塗もする。操業中鑪職人の起し役。※交互に作業するところから「代わり番子」の語源となった。
番子頭(番子庄屋)
●その役目は、乾かしてある小鉄が干上ったとき鑪内へ運ぶ。どんぶり場の銑を拾い、村下に渡す。釜塗の日はどんぶりを止め据風呂をわかすなど。
大工
●大鍛冶本場の長。■左下鉄に鉧を少し加えて熱して炭素量を減らした錬鉄塊を、金床の上で四人の手子に打たせて鉄滓を搾り出し、約横5寸、縦一尺、厚さ2寸の形にし、縦に切断して二個にする。これを左下の手で元の火窪で熱し更に各二個に切り四片とする。これをまた熱して鎚で延すこと四回にして小割・丸延とする。この工程を一工程(ひと吹)として約一時間を要する。■大工は日に二人扶持、月に塩・味噌一升宛与える。
吹差・吹指
●本場に大鞴を据付け、火窪に地鉄八貫目を積み、小炭を盛り鞴で鉄を焼く。その鞴を操作する者二人を吹差という。■鍛冶屋の吹子は、大工座に後鞴と前鞴の二挺、左下場に一挺。後鞴は定まった職人。前鞴は定まった職人と、手の空いている手子とで吹く。朝方鍛冶職人を起して回るのは前鞴職人。
大鍛冶手子頭
●翌日の働き手の手配。短日の日は火口替のため手火(明かり)用意。後ぶきが欠けるときは休番の手子を手配。かけおち人監視。手子休番の日でも朝吹と二吹目に胴切りまでは仕事をさせる。手子へは年間12日以上の休日は与えぬなど。
大鍛冶役者(務め人)
●大工一人。前ふき指一人、この役を近年「左下」と言い習わす。後ふき指一人、吹子の操作のみする。手子四人(右振鎚二人、左二人)。七人の他に大工・前吹の欠間を勤める者一人、手子二人で計10人。これらの職人は山配の指図を受ける。
左下(さげ)
●銑を火久保(火窪)で熱し、炭などの雑挟物を除き、同時に含炭量を減らして本場に回す地鉄をつくる職人。作業場を左下場と言い、出来た鉄を下げ鉄と言った。
後ぶき(後吹)
●大鍛冶に二挺設置されている吹差吹子の後方のを操作する職人。前ふき指
手子
●大鍛冶で大きな鎚で焼鉄を連打する者4人。右手子・左手子がいた。■鎚の重さは1貫400匁位(天保年間は1貫800匁)。就労日は通常月15日。■常に高い手間賃を求めて退身者が多かった。■替り番のときは前鞴が勤める。
地物師
●鉄床や、鎚地生産鍛冶師は常置ではなく注文数がまとまった時、開設し、地物師を雇い入れる。
鉄穴師
●鉄穴流し作業人。流し子とも言う。●大鉄穴で山口穴打(崩し)に10人から15人、春分、水の強いときは20人も必要。精洗場で小鉄を取り上げる。「居士」は3〜4人。●鉄穴所有者と鉄穴師の利益配分は、採取した砂鉄の半分を流し子へ、後は持主へ与えるなど玄武の配分が多い。■防寒用足回り用品は甲掛(爪籠をはく前に踵を覆う布切れ)。草鞋。爪籠(足先に履く藁で編んだ、つっかけ様のもの)。はばき(いぐさなどで編んだ脚絆様のもの)。
鉄穴師頭勤方
●山替えや、宇戸替えは本小屋手代立会の下で差図をうける。●仕事は鉄穴口の見回りと井手懸り水の有無多少、池川の様子見。谷番の回り役を定める。鉄穴師賃銭の上下をきめる。山口穴打ち場頂上の石の処理。堤・池・樋の見分と池の樋穴の、のみの差し抜き。出水時取上砂鉄流出防止対策。落土に埋まった者の救出(早く水をはずし手で掘り出すこと。)
小炭頭勤方
●小炭頭は山配の助役。●何役に限らず、休番の者を山配と打合せ小炭焼に行かせる。吹雪、大積雪のときは、先立って山に行き、若年、老人には火を焚付けてやる。梅雨頃は雨天に木栫えして晴天に焼かせる。
山子
●製炭(炭焼き)夫。鉄山直属の抱山子と村方山子がある。■日野郡菅福山(近藤家鉄山)では67人雇用。自宅に帰らぬ山籠り山子も居た。■小炭も月に一斗五升焼くことが課せられ、大炭は炭釜から道まで朝夕二荷ずつ負い出す。焼灰木も、回り持ちで伐り出す。■また欠間として後吹を、また若者は番子を勤めた。
道夫
●大炭焼釜までの道打夫。釜一枚に何人必要かを見込む。
山番
●鉄山林の管理を鉄山師から委託された人。所の山に委しい村人が指名され、扶持米を受ける。
山奉行
●在中奉行は郡奉行の配下。■御立山御立藪の管理の他に、領内の治安維持、国境番所の管理にあたる。
砂湛轉役人夫(すなさらえ てんやくにんぶ)
●会見郡日野川流域(下流)に堆積した鉄穴流しの廃砂は、(上流の)日野郡の責任で排除することになり、郡内各戸一名ずつの出夫を要求されたが、代わりの人夫賃を出して会見郡の人夫で済ますこともあったので轉役ともいわれた。
番所
●他領に通じる街道の国境に設けられ、人別出人、抜荷の監視にあたる。
五人組
●大工が組親となり、山内各戸に五人組をつくらせ、欠落人(退身)などの監視にあたらせた。
歩行日
雇(あるきひやとい)
●本小屋から、諸職場や諸職人へ連絡をする係。
小回り
●雑用係。
又六
●山内、村方を回る行商人。本古屋の免札を必要としたが、山内では酒の販売は禁止。
おなり・宇成女
●鑪の炊事婦。●月水なき小女か姥を用いる。うなりとも言う。
おなり松
●日南町佐木谷にある地名。おなりであったお松が鉄の湧きをよくしようとして鑪に身を投じたという言い伝えがある(霞神社宮司談)。
小前百姓
●高持、徳人に対する平百姓。鉄穴流し、川砂採取は小前百姓の重要な収入源であった。
欠間
●作業工程で欠員の出来た職場の作業を補う人。
島根日用
●明治中期頃雇用された、島根県からの鑪場建築大工集団。
新田師・地形新田師
●土地造成工事人。
捨尾師
●床釣場(炉の下の地下構造)を堀りあげて、最下部に排水のため並べる直径30-40cm位の石(捨尾)を据える職人。
打込み職人と経費
●明治21年、日野町大西山(近藤家鉄山)打込見積では、地形新田師50人、水揚小鉄場づくり70人、床釣には捨尾師其他100人、山内諸建物建築大工236人、日用50人の他に床焼夫60人、天秤吹子造り大工120人、合計680人役を見込み、さらに建築材焼灰木4万貫、鑪押道具、狸皮47枚、銑千駄用の砂鉄など総合計1300円の経費を計上している。この他に、大炭、小炭焼きの経費が加算される。