制度・政策

鉄山経営の許認可

鉄山

●鑪・大鍛冶・山内諸小屋など製鉄に関するすべての施設を含む言い方。鉄山林を指す時もある。

 

運上銀 

●藩に納める営業税。鉄山林は年間銀60匁。たたらは銀120匁。鉄穴流しは規模による。

■吹子一挺は銀30匁。二ふきたたらは銀60匁。鍛冶屋は銀60匁。四吹たたらは銀60匁。宝暦6(1756)年には、たたら一箇所が銀150匁。大鍛冶一軒60匁。文化四年には鉄山方御運上銀総計7貫562匁5分8厘。

 

 

 

請願書

●江戸時代、鉄山稼(開業)をするための申請書。

■何山誰持分木山買受?するが、村中同心、近村障りはないとして、大庄屋・山奉行・宗旨庄屋へ各一通提出。

  

上げ(掲)願書

●鉄山稼業を打切る(終了する)際の申請書。打込み(新設)のときは請願書。■(内容は)何々鉄山、木山?済には、何時引上仕舞仕候。

 

御手山

●元禄七(1694)年11月13日より、日野郡内鉄山総てを鳥取藩の直接経営とした時の鉄山の呼び方。廃止は元禄11年8月。※日野のたたらを藩直営にしようとしたが上手くいかなかった。



鳥取藩の流通政策

鉄座

●安永9(1780)年、幕府は大阪に鉄座をつくり全国鉄市場を直轄とした。天明7(1787)年廃止。

 

回米方御用鉄山(海路為替回漕)

●寛政12(1800)年、回米奉行により日野郡産鉄を米子鉄問屋に集め、鉄買船に売り渡す方式がとられたが、地元では「御回米方御手掛り鉄山」と称えた。

 

回鉄御趣向

●文化13(1816)年より文政6(1823)年の間、鳥取藩の肝入りで日野郡産鉄を江戸市場へ直送した。

 

 鉄買船

●全国各地から鉄を求めて集まって来る船。化政期江戸回鉄時代でも残鉄は米子鉄問屋に集荷、鉄買船に売渡した。

 

 

境鉄山融通会所

●産鉄流通を促すため、天保6(1835)年、在御用場支配の下に境に設立された。文久2(1862)年、為替貸与をして鉄を集荷するため、鉄類預所をおき、世話人として近藤平右衛門、野坂金次郎、青砥直太郎を任命。

米子鉄会所

●西伯耆産鉄を集荷し、荷崩れをなおし、再仕分して出荷の準備をするため、米子灘町一丁目川口番所近くにあった藩の建物。



納税・年貢

三郡地払所

●智頭・若桜と共に日野郡(溝口周辺一部除く)の貢米は、領内百姓町人、鉄山、酒屋を願人として売出し、銀にかえて納めた。

 

はね米

●郡内貢米の願人が少なく、残米となったとき、郡在役人の協議で村方、酒造家、鉄山に強制割当で買取らせる米。経営不振の鉄山師より、度々免除願いが出されている。■値段は願米価格より高いので間損が出る。

延米

●鉄山の養米などを、地蔵に入れる前に払出し、後は、手形で決済すること。

 

差越米

●他領で経営する鉄山の養米を、自国から津出しすることについては、藩の許可を必要とした。

 



戸籍の管理

根帳 (ねちょう)

●村方根帳。正しくは宗門根帳。村方人別を宗門別に記載するので村方戸籍の原簿となる。■根帳を持つ者が鉄山に出職して事故死すれば、在方の支配をうける。

 

宗門改

●抱子の宗門改は、鉄山師が引請けて役所に請合う。

 

宗門人別放手形・宗門引越手形

●在所の寺から向方の寺へ、本人何宗で拙寺旦那であるが、何所に引越願うので当方除籍、貴寺御宗帳に加えてほしい旨の依頼状。返答書は宗門人別受取手形。

 

宗門出職手形

●他領に出稼するとき、先方の寺へ出す檀家寺の証明。

 

人別出職放手形

●他領鉄山へ出職するとき、在所の庄屋から、諸法度節目の者でないこと、ころびもの(キリシタン改宗)でないこと、宗旨は何寺・何宗で当方除籍したので、そちらで加籍願う旨の通達。

※宗門受取手形/放手形により当方根帳に加える旨の庄屋からの返答書。

成敗

●鉄山師は藩の治政より独立して、無籍の抱子に対し刑罰権、宗門改実地権をもつ。抱子の懲らしめは、鉄蔵に閉じ込めるのが一般的。

 

抱子人別

●多い人別では、天保2(1831)年、日野郡上菅の持々滝鉄山(近藤家経営)で、鍛冶方は大工6人、左下5人、後吹13人、左手子10人、右手子12人、山子37人、鑪内で村下4人、炭焚1人、番子8人、小鉄洗い1人、合計97人という記録がある。

 

抱子放手形

●鉄山抱子を他の鉄山へ譲渡する承諾書で、条件として(一)他に宗門懸り(人別帳記載)がないこと、(一)素生(経歴・出生地など)に相違ないこと、(一)先銀借用の返済が終るか、または返済手当が出来ていること(本人支払不能のときは子孫が払うことを承諾する)。■鉄山にて抱人の放し手形と言う事、是も近年の事也。

 

印鑑

●国境番所通過のときは、身元を保証する文書の印鑑の照合を必要とする。



明治時代

鉱物国有化

●明治5(1872)年3月、「太政官日誌第26号」により、鉱物は地表(砂鉄など)、地底を問わず、政府の所有物である、との見解が示された。

 

借区開坑願

●鉱物国有化(明治5年)により、鉄穴流し、川砂採取とも国から鉱区を借りて採取する旨の願書。

 

商法会議所

●明治12年3月、大阪高麗橋3丁目に設立。商業(鉄業)取締役に近藤喜兵衛、名越愛助を任命。

 

砂鉱採取法

●鑪打込や、溜池、鉄穴井手等の施設をつくる計画があるとき、土地所有者は、貸与、または売却を拒否することが出来ないことを法律化したもの。明治26年4月施行。