江戸時代の国内の鉄生産地について、下原重仲が記した『鉄山必用記事』によれば、播磨・但馬(兵庫県)、美作・備中(岡山県)、備後・安芸(広島県)、因幡・伯耆(鳥取県)、出雲・石見(島根県)、薩州(鹿児島県)、奥州(東北地方)とあり、その多くを中国山地が占めています。
中国山地は、豊富な砂鉄資源と広大な森林を有しており、たたら製鉄に最適な環境であったことがその故とされています。
また、明治七年の府県物産帳によれば、中国地方4県と兵庫県の鉄生産量が全国の9割以上を占めていました。1879年(明治12年)の統計資料では、和鉄総生産量13,031トンの内、上記の5県で11,292トンを生産し、全体の87%を占める一方、東北地方は9%にとどまっています。
明治初頭のこの詳細な数字は、江戸時代の状況をほぼ反映していると言ってもよく、中国地方は昔から”産業のコメ”ともいわれてきた鉄を多く産出し、国家を支えてきたと言えます。ここではその主な生産地を紹介していきます。
• 兵庫県(宍粟市・佐用町)
• 岡山県(新見市・津山市)
• 広島県(北広島町・安芸太田町)
• 島根県(奥出雲町・雲南市・安来市・出雲市)
• 鳥取県(伯耆地方・日野郡・大山山麓)
「播磨国志相郡岩鍋なる桂の木に高天が原より、ひとはしらの神天降り座すあり」として、金屋子神が降臨し、日本で初めて製鉄が行われた地と伝えられる宍粟市。
木炭の火で砂鉄を溶かす古来製鉄技術の記録が風土記にも記され、国内でも有数の近世鉄山跡とされ、今も階段状に石垣が連なる天児屋(てんごや)鉄山跡を残す。
古代から鉄の生産地として知られ、とりわけ中世以降は「千草鉄(宍粟鉄)」の名で全国的に名を馳せ、この地域で生産された鉄は、備前国の刀工たちに高く評価され、日本刀の原料として重要な役割を果たした。宍粟市北部の千種町・一宮町北部・波賀町などがその主な生産地である。
模型や図表でたたらを紹介する「たたらの里 学習館」もあり、保存する会では十数年前から中学生を対象にミニたたら操業を実施し、活動を受け継ぐ若手も育っている。
国宝「東寺百合文書」の中に、年貢として鉄を納めていたという記録がある新見庄。備中国では津山藩や新見藩がたたら製鉄を保護し、中世には山間部の鉄山が多く稼働。新見市では大成山たたら遺跡群などの遺構が確認されている。
たたら伝承会の活動は平成5年、(社)新見青年会 議所の記念事業がきっかけで、自分たちでたたら操業をし、できた鉄によって燭台を造り、東寺に奉納することを計画。
当初より日刀保たたらの木原村下の指導を得て、現在では吹き差しふいごを駆動させての「中世だたら」 を再現。平成11年(1999年)10月から毎年秋に「中世たたら製鉄再現」が行われており、たたら伝承会は、新見市教育委員会主催で開催される、たたら学習「中世たたら操業」を全面的に担って活動している。
太田川上流域の遅越遺跡(弥生時代後期)からは鉄剣が出土しており、古くから鉄器の使用が確認されている。
その太田川上流域で、寛永年間に創始された加計隅屋鉄山。嘉永6 年(1853年)に製鉄業が藩営となるまでの約200年の間に隅屋が採掘した鉄山は25に上り、鉄穴流しが現広島市市街地のデルタを形成したとも言われる。明治時代には広島鉄山落合作業所が稼働。
安芸太田町では2012年6月に、町教育委員会などと連携して、「奥安芸の鉄物語たたらの楽校実行委員会」実行委員会を立ち上げ、30年ぶりに「たたら製鉄」の作業工程などを描いた広島県の重要文化財「紙本著色(しほんちゃくしょく)隅屋鉄山絵巻」の公開にこぎつけた。たたらの歴史と豊かな自然を生かし、紙芝居を使ったたたら学習、また「鉄を感じる陶芸体験&紙芝居&森林セラピー」や「田舎体験民泊」などエコツアー系の体験プログラムに取り組んでいる。
• 歴史ある有数のたたら生産地で、奥出雲町の「日刀保たたら」では伝統の技術が今日に伝えられ、また大規模な修復が施された雲南市吉田町の菅谷たたら山内や、田部家、櫻井家、絲原家という三大鉄師の住居も往時のままの姿で残されている。
• こうした遺産に加え、安来市の和綱博物館をはじめとしたガイダンス施設も多数抱え、また2012年には東京で「たたらシンポジウム」を開催するなど、安来市・雲南市・奥出雲町の2市1 町で、官民一体となった取り組みが進められている。
・隣り合う伯耆との違いで言えば、まず藩政時代当初に松江藩が「鉄師」を選任したこと。財力のある9つの家でのみ、たたら経営が許され、現在に残る御三家と卜蔵家が有名。そうした流れからか、藩主〜為政者とのつながりが強固とも言われる。次に、奥出雲などの山中で行われたたたらの他に、江ノ川などでの開運を利用した「銑」の生産を主とするたたらも存在したこと。たたらにおける物資の輸送費を、船利用で軽減することで経営をおこなった。施設設備面で言えば、高殿の四隅が伯耆の「丸打ち」に対して「角打ち」であることなどが挙げられる。
• 2008年の「たたら」をテーマとした日野町・ 日南町両商工会の全国展開事業で、長く近藤家の古文書を研究してこられた故影山猛氏の指導の下、翌2009(平成21)年にガイダンス施設として「たたらの楽校」根雨楽舎と大宮楽舎をオープン。
• たたらの炎が燃え盛った往時の奥日野をリアルに想像してもらおうと、小説『TATARA』を出版したところ大きな反響を得た。以降、日野郡周辺の製鉄遺跡の踏査を行い、また講演会やフォーラムなどを開催し、観光バスツアーを企画するなど民間を主としてソフト事業をメインに取り組んでいる。
・伯耆国産鉄は古来より「印賀鋼」などの名前で全国に知られ、名刀工「大原安綱」はその優れた鋼を以て、現在に伝わる名刀を打ったとの伝承を残す。江戸時代となり、鳥取藩が一時、奥日野で直営を試みたがうまくいかず、たたら打ち込み(新設)を自由としたため、多い時で大小30〜40の「鉄山師」が割拠したが、幕末以降は根雨の近藤家に集約された。また、たたら研究のバイブルとも言われる『鉄山必用記事(鉄山秘書)』を江戸時代中期に著した「下原重仲」について、長く謎に包まれていたが、近年その実相が明らかにされつつある。
2014(平成24)年12月、伯耆国たたら顕彰会を主催者として「たたらサミット in 奥日野」を日南町総合文化センターで開催した。それまでまったく連携がとられていなかった上記5団体が集結し、たたらに関わる各分野、各方面の研究者を招聘して2日間にわたって情報交換と親睦を図った。
特に世界遺産に詳しい西村幸夫教授(当時東京大学副学長)による基調講演では、「たたら製鉄をどう考えるか」について、次のような貴重な示唆があった。
◆近代製鉄とと近代以前の製鉄を退避する視点
◆鉄の文化を俯瞰する中での「たたら」
◆1300年の技術の継承ー継続の価値
◆自律的な生活システムとしての鉱山都市(山内)
◆自然と産業の関係
◆「たたら」そのものの文化性とその全貌把握
◆都市の先端性・自律性
◆ものづくりの原点としての教育的価値
また最後に、「こうして新しい動き(広域の地域連携)が始まろうとしているまさにその場面に、自分がいることができたことを嬉しく思う」とのコメントもあり、関係団体はもとよりゲスト講師陣、そして会場内の全員によって「中国山地におけるたたら製鉄の歴史的価値を後世に伝えていくことに関する宣言(通称「奥日野宣言)」が採択され、サミットは閉会した。
2018年19月、米子市公会堂において『日本の鉄文化・たたらの歴史フォーラム』が開催された。午前の部は「全国たたらサミット」と題して、中国山地の5団体に加え、遠く岩手県から「いわてたたら研究会」の計6団体が参集した。
また午後は、作家の井沢元彦氏による基調講演と、氏と俳優の高橋英樹氏による対談などが行われた。
当日は、米子市公会堂の内外で、神楽上演や居合道演武、ミニたたら操業(砂鉄投入体験)、ペーパーナイフづくり体験や都合山たたら遺跡AR体験…といった多彩な関連イベントも行われ賑わった。