都合谷川の水音を聴きながら新緑に萌え始めた「たたら街道」を歩き、県指定史跡の「都合山たたら跡」でちょこっとお勉強・・・。たたら跡ではキャビンの広場で講座を始め、オカリナの演奏やコーヒータイム、輪投げゲームも楽しんでいただきました。
奥日野ガイド倶楽部の主催で、参加者15名をお迎えして開催された今シーズン初のイベント。
岡山県の津山市や真庭市から各1名、鳥取市からも3名、米子市からは8名と、遠方からご参加いただいて、15名のうち新規参加者が6名。さまざまなご感想をいただきました
初めて参加した。楽しかった。たたら跡見学にワクワクして来た。コーヒー・スープが美味しかった。「かわりばんこ」の語源を学べて良かった。スタッフの心遣いが随所に見えた。おもてなしが良かった。オカリナ演奏がサプライズで良かった。パネル説明が分かりやすかった。「たたら」に関して話を聞くのが2回目で理解が進んだ。
こうした皆さんのご感想をいただければ、スタッフの面々の意気も自ずと上がります。前年の初頭に設置されたバイオトイレも有り難く、もっと多くの皆さんに都合山にお越しいただきたいと思いました。
雑草の繁茂が本格化するこの時期、毎年恒例となっているボランティアによる清掃活動が行われました。
日南町の花口から都合山を経て上菅まで、この日は2年ぶりにたたら古道の半分をウオーキング。遠来は八頭郡から2名、勝山宿の会から1名、全くの新顔が3名とバラエティに富んだ顔ぶれで、参加者10名、ガイド倶楽部スタッフ2名で和気藹々と歩きました。
花口側には古いたたら跡が何箇所もあり、また炭焼きの跡や、そして急な峠道は馬が歩きやすいように緩やかにされた坂と、急な坂、ふた通りのコースが設けられていたり。先人たちが苦労して往来したであろうことなどに、さまざま想像を膨らますことができます。
いよいよ夏本番となったこの日、朝9時、たたら街道入り口に集合し。参加者はやや寂しく4名、スタッフは2名。
現地滞在時間(約1時間)中に電子紙芝居を2本、高殿跡周辺ガイドを実施しました。電子紙芝居は各編、10分から14分程度。口頭での説明ではなかなか難しいところ、これをご覧いただくと皆さんに大いにガッテン!していただけます。特に都合山の現地でご覧いただくと、位置関係などが分かりやすく伝わります。
《たたらの電子紙芝居》
都合山は初めてという、松江・安来・米子から4名の参加者で、短時間(3h)ではありましたが、「たたら」に関心を深めてお帰りいただきました。先般の大雨で「街道」がぬかるんでおり、コース全般の整備が進めばより多くの方々に来てもらえるのでは・・・・という感想を頂きました。
また道中、都合山たたら跡の看板整備を評価された方もおられました。
猛暑で「スズメバチ」の活動が活発化しており、道中を案じましたが1匹だけの出会いで事なきを得ました。
↑たたら街道入り口に設けられた看板。都合山までのコース略図が描かれています。またこの看板そばには、記念樹の「カツラの木」が植えられています。
↑キャビンすぐ横にある看板で、同じようなのが高殿そばにもありますが、記載されている内容は大きく異なります。ちなみに、鳥瞰図は似ていますが、ちょっと違います。さてどこが違っているでしょうか?現地でお確かめください!
JR伯備線の武庫駅から東に向かい、俣野ダムからさらに奥へ。岡山県との県境に近い集落、深山口で、この日に至る何ヶ月かをかけてたたら場の発掘調査が行われてきました。調査もほぼ終了し、間も無く埋め戻されるということからこの日、現場で説明会が開催されたものです。
この「吉ヶ谷たたら」は、江戸時代に『鉄山必用記事』を著した下原重仲にゆかりあるたたら場であると推察され、発掘調査はその規模や型式などから、操業された年代や操業した鉄山師の特定に向けたもののようです。この日はたたら研究の第一人者、角田徳幸さんによる解説を伺いました。
その所見としては、新旧の地下構造が重複しており、 操業後移転、再び同じ地点に製鉄炉〜地下構造を構築、再操業したものであること。地下構造は小規模で、下床釣りは持っていないように見え、地下構造が大型化する以前の 17世紀から18世紀前半のものとの共通性があること。
そうしたことから吉ヶ谷鈩は重仲の祖父・正国や父・臨が操業したのではないかと考えられ、『鉄山秘書』の記事の背景となった可能性も考えられる・・・ということです。
2021年11月21日、下原重仲の没後200年を期して開催した「第1回 下原重仲”恭敬”ツアー&フォーラム」から1年をおいて、10月17日(火)、第2回目となるフォーラムを江府町役場2Fにて開催しました。
第一部は深山口の「吉ヶ谷たたら」について、角田徳幸氏の講演。そして第二部は前回、現存する「鉄山要口訳」は後年、孫の為吉が筆写したもので、その大元は重仲が20代の頃から書き始めた「鉄山諸用記」で、これが「鉄山秘書」へと結実したのではないかという指摘をされた高橋章司氏(鳥取県青谷上寺地遺跡整備室)による、さらにびっくりするような新説が発表されました。高橋さんはその後、重仲が出奔してたどり着いたという奥州まで自ら足を運んで、出奔から帰郷までの軌跡を明らかにされ、そして次男・恵助宅、黒坂の森家に伝わる重仲の歌集『農暇拾穂集(のうかしゅうすいしゅう)』から、今まで語られてきた重仲の人間像を大きく覆すような新説を発表されました。
その内容は「伯耆文化研究」に論文として発表されているので、別枠で紹介することとします。
第10回となる「令和のふいご祭り」を10月22日に開催しました。そのメインコンテンツは、砂鉄と木炭を使った日本古来の「たたたら吹き製鉄法」を実体験する「ミニたたら操業ワークショップ」です。
50名の皆さんに砂鉄の豆乳体験をしていただき、時間の経過とともに炉から噴き上がる炎の色の変化や、真っ赤なノロの排出、そして最後には炉を壊してケラを取り出す・・・そうした鉄づくりの工程をご覧いただきました。
こうした体験を通じて、奥日野地域でのかつての主要産業であった日本独自の製鉄法「たたら製鉄」の歴史・文化を再認識してもらい、地域遺産として次世代につないでいけたらと思います。
大人も子供も座学だけでなく、こうした体験型の学習機会を持つことで、より身近にたたら文化を学んでいただくことができたはずです。
高殿テントの横では砂鉄と炭を使って鋼ができる仕組みを解説、展示用テントにおいては過去に制作した鉧と、割った鉧の中の玉鋼を見ていただくための展示を行いました。
また、熱した鉄を打って切り出しナイフやペーパーナイフ等を作り上げる「鍛冶屋体験」のコーナーも開設。子供も大人もトンチントンチンと鉄を打つ槌の音を響かせていました。
7:00 高殿テント組立開始
9:25 火入れ(金屋子神へ拝礼)
10:15 初種(砂鉄投入開始)
11:28 第1回ノロ出し
12:10 第2回ノロ出し
12:30 砂鉄投入終了
13:10 第3回ノロ出し
14:20 鉧出し
15:00 鉧の重量当てクイズ抽選発表
15:10 終了。高殿テント解体・片付け
参加者数:ミニたたら操業体験会(内、砂鉄投入者数) 延150名(24名)
15㎏の砂鉄と40数㎏の炭を投入。送風も良好であり、8.01㎏と、昨年の7.50kgを上回る、日野町で開催した“ミニたたら操業”では最高の出来栄えでした。
明治期においては歩留まりが30%以上であれば「名人」といわれており、回を追うごとに砂鉄投入の技術向上が功を奏しているのではないかと思われます。更に、今回は炉を改良し、砂鉄が風で飛ばされないよう炉の口を絞り、砂鉄が中央付近に落ちるようにした成果でもあるように思われます。
1週間前の地元日野町根雨での「令和のふいご祭り」に引き続き、「米子市角盤町の「つながるマルシェ in エル・モール」会場で、ミニたたら操業体験会及び学習会を開催しました。
大山山麓・日野川流域「つながるマルシェ」は、鳥取県西部地区及び倉吉市や琴浦町から特産品の販売スペースが出店され、また賑やかにステージイベントなどもある集客力の大きな催しで、たたら顕彰会ではここ数年、ミニたたら操業をさせていただいています。
特産品販売や地ビール飲食スペース、ハッピーハロウィンと、今回も会場は大賑わいで、「奥日野のたたら」を知っていただくのには絶好の機会となっています。
この日も40名余りの希望者に砂鉄投入を体験していただきましたが、残念ながらいつもと比べ鉧の出来高はあまり良くありませんでした。
この日は15kgの砂鉄と40kgの炭を投入。昨年10月の「つながるマルシェ」では鉧の重量が8.00kgありましたが、今回は5.30kg。投入した砂鉄に対する歩留まりは35.3%とあまり芳しい数字ではありませんでした。
その要因としては、羽口(炉の中に送り込む空気穴の先端部分)の穴を大きくした為に空気を多く送りすぎることとなり、炉の中の温度が上がりすぎ、ズク玉がノロと一緒に流れ出てしまったことが考えられます。
ノロを流すときにパチパチと火花が飛んでいましたが、これが銑鉄です。後で計量してみるとズク玉(銑鉄)が1.3kgほどもありました。この結果に砂鉄を投入していただいた皆さんは、少しガッカリされたのではないかと思われます。1回1回が良い経験となります。この経験を活かし今後、いい出来の鉧を製作したいものです。
今シーズン最後の都合山たたら跡へのウオーキングイベント。参加者10名のうち5名は、前日から日野町舟場の古民家「沙々樹」に宿泊された比較的若い仲間の皆さんで、古民家では干し柿作りや旧出雲街道の散策、記念植樹、囲炉裏端での会食などを楽しまれたとのこと。
そうした皆さんの会話もあり、楽しい山行きとなりました。
間もなく冬を迎える都合山は一段とひっそり閑として、100年ちょっと昔、この地に100人を越す人々が暮らし、早朝から炉に炎が立ち上り、鍛冶の槌音が山々に響き渡っていた様を思い起こせば、よりいっそう神秘的な佇まいを醸し出します。
この季節のトレッキングもまた趣があると、改めて感じられました。
●写真は2021年1月のものです。
奥日野ガイド倶楽部のメンバー3名で、先ずは「人向山たたら跡」に行ってきました。
明治20年頃、根雨の近藤家が都合山にたたらの打ち込みを行う際、ここにあった資材を移設したと言われており、名前に馴染みがあったものの、現地の状態をあまりよく知っていませんでした。
今後、この人向山にも皆さんをご案内できればと、この日現地踏査を行うことにしたのです。
場所が国道180号沿いの踏切から850mの位置・・・との情報を手掛かりに、さして迷うことなく現地に到着。宝暦年間の鉄山石碑も確認し、大量のカナクソを見ることもできましたが、高殿や元小屋など当時の施設配置がどのようであったかまでは解りません。ただし土地の起伏が大きいことから、都合山のそれとはかなり違っているのではないかと思われます。これについてはたたら顕彰会のF事務局長に聞くとか、あるいは今後発掘によって明らかにされる必要があります。
上菅駅からは思った割に近く、ここはここで面白い佇まいなので、今後ウオーキングイベントを計画しても良いかもしれません。
人向山たたら跡の踏査に続き、たたら古道久谷ルートがその後どうなっているか、調査歩行を行いました。菅沢側に回り、菅沢ダム湖畔道路からと考えましたが、入口付近の道路補修工事のため進入できず、再度久谷側に行き、林道から槇ヶ峠まで歩行しました。
最近、地籍調査で立ち入った形跡があり、林道の状態が良くなっていて、難なく槇ヶ峠まで歩行できました。菅沢の湖畔道路分岐から槇ヶ峠(日南町側)までの1.3kmは日を改めて歩行調査することにしました。
「たたら座談会」は日南町の石見地区、福栄地区からスタートして、何年かをかけて日南町〜日野町〜江府町の各地で開催してきたものです。その目的は、各地に残されているたたら製鉄の遺構などについて、たたら顕彰会で把握している場所を紹介し、またその他に地元の皆さんがご存知の情報、知られていない遺構や各家に残されている道具や文書、伝承などについて聞き取り、意見交換することにあります。
新型コロナの影響があって少しブランクがありましたが、この日は伯耆町の二部公民館で開催。二部は根雨と山ひとつで、昔からたたらが盛んに行われた地域で、公民館活動でも熱心に「たたらの歴史」について勉強されています。
たたらについての知識はともすれば部分的なところに偏りやすいので、鉄のそもそも、製鉄の歴史から始め、たたらの実相までその概要を幅広く知ってもらうことも大事で、この日にもそうしたお話を少しさせていただきました。
2019年に設置した「都合山CABIN」の活用促進と、休憩施設としての便益性向上のため、同建物を「たたらの楽校都合山分校」としてリニューアルオープンするにあたり、記念イベントとして「探検ウオーク」を開催しました。
当日は、都合山たたら跡発掘調査を行われた角田徳幸さんを講師に、上菅のたたら街道入口からたたら跡までの約2kmの道のりを、角田さんの解説を聞きながらウォーキングしました。
途中、2021年に新発見となった「鉄穴場(洗鋼場)跡」では、実際に沢を渡って現地の地形などから推察できる施設の仕組みなどについても学びました。
目的地であるたたら跡では、当時の鉄づくりの順番に沿ってたたら操業の仕組みを聞いたり、ARアプリを使って当時の様子を再現したCGを見て、往時の盛況ぶりを想像しました。
ひとしきり解説を聞いた後は、いよいよ「都合山分校」でのコーヒーブレイク。このたびのリニューアルで、看板や雨よけの庇も新設したほか、建物内にはたたらの仕組みの解説パネル展示や、来場者が自由に書き込めるノートなども設置されています。
冬季間は積雪等のため入山が困難ですが、春になれば建物を開放し、どなたでも自由にご利用いただけるようにする予定です。バイオトイレもありますので、どうぞお気軽にお越しください。