ま)
真洗
●鑪場に納入される並洗砂鉄を、更に小鉄洗い職人が純度を高めること。鉄穴場でも真洗するときもある。
前引
●資金繰りの目途が立たず次第に経営困難になること。
真砂(まさ)
●黒色の光沢を有し、全部磁鉄鉱類。日野川の左岸は概して真砂を産出し、殊に大宮より採取する品が最良とされる。
又六
●山内、村方を回る行商人。本古屋の免札を必要としたが、山内では酒の販売は禁止。
祭り
■金屋子秋祭りは旧暦9月11日、吹子祭りは旧暦11月8日、山子祭りは旧暦12月27日、他氏神祭り、種祭りなど。■金屋子神祭日は10月初子の日。
丸打ち高殿
●大屋根の四方が丸くなっている高殿。伯耆から奥出雲煮かけてよく見られる。■雲南市吉田町、菅谷山内に現存する「角打ち」という形もある。
丸延
●割鉄の鍛造で、破断面をつくらぬ鉄。
丸爐吹き
●日南町新屋(近藤家鉄山)では、大正8年から10年まで、石灰石を投入して鉄滓を製錬する丸爐吹きを操業した。
み)
身上り祝
●鍛冶職人で10日間勤務ごとに一人役、100日間で10人役与えられ、役を酒にかえることも出来たが、一人役で三合、五人役で三升、十人役で五升引換。
道夫
●大炭焼釜までの道打夫。釜一枚に何人必要かを見込む。
水小鉄
●水分を多く含んだ砂鉄。
水鋼
●鉧を鉄池に投入し、急冷させた鋼。出羽鋼とも称する。●色は青色で稍黒みを帯び、刀剣及び刃物の刃先に用いる。破断面は僅に茶褐色を帯びる。水鋼と火鋼では化学成分に変化はないが、取引の習慣による。
名代
●鑪経営者の代理人。鑪師が在役人を兼ねているときは、雇用人の中から代人を立てて村方との諸契約に当らせた。
む)
村下(むらげ)・村技
●たたらの技師長。砂鉄を爐内で熔解するにあたり、時々の火気の放色、または流出する鉱滓、熔解した銑鉄の柔軟や硬固、または粘着性を判断酌量して、投容の砂鉄を加減する。●釜土の吟味と構築、砂鉄の品質の見定めと投入量、鉧の品質の量の見定めなどすべての責任をもっている。
■村下・炭坂の勤め方/常に小鉄を煎じ置き、夏は戸外で乾かして焼木は使用しないこと。大炭の善悪を確かめる。番子賃銀の贔屓をしない。高殿の諸役人の○・不浄を改め、女人を高殿に長居させない。操業中は昼ねて夜は起き、家に帰らぬこと。
め)
目白
●鉧・鋼の100匁以下の品物。
も)
元釜士
●釜の下部に使用する土。上部は二割土。■砂が少なく、ねばりがあって白色の土がよい。水晶砂の交わるものがよい。
本小屋・元小屋・元古屋
●鉄山の管理事務所。手代5〜6人が常時配置されている。■場所は鑪・鍛冶屋・山内小屋がひと目に見えるところがよい。
元山さん
●元山押立柱の後に祭る金屋子神のこと。■これは金屋子神が犬に追われて「神去ります」のとき、死骸を元山押立柱に立てたら鉄がよく湧いたとの言い伝えから。
や)
山子
●製炭(炭焼き)夫。鉄山直属の抱山子と村方山子がある。■日野郡菅福山(近藤家鉄山)では67人雇用。自宅に帰らぬ山籠り山子も居た。■小炭も月に一斗五升焼くことが課せられ、大炭は炭釜から道まで朝夕二荷ずつ負い出す。焼灰木も、回り持ちで伐り出す。■また欠間として後吹を、また若者は番子を勤めた。
焼灰木・焼木
●爐床の木炭粉の補充、および築爐の乾燥に焚く木。■槙・藤・かつらを極上とする。深山ではぶなの木がよい。
役木
●釜の乾燥、小鉄の乾燥に焼く木。堅木は極よし、栗は甚だ悪しき木。
養米(やしないまい)
●鉄山職人とその家族の消費米。大きい鑪では年間700石前後消費した。■明治期は安い米を求めて海外からの輸入米も購入した。明治中期頃からは麦も支給。 ※米の1石は下位単位では10斗にあたり、同じく100升、1,000合に相当。成人1人が1年間に消費する量にほぼ等しいと見なされた。
山の神
●山子など、山仕事する人の守護神。
山口・宇戸
●鉄穴砂の崩し口。
山の上
●日南町の菅沢・印賀・山上・阿毘縁、日野町の久住をさす。
山配
●山支配は山内の長役で、山内諸人は皆、山支配の下にいる。■仕事は日雇の配置、高殿の炭・小鉄・焼木・釜土の有無の他、毎夜元小屋へ出かけ、翌日の山内仕事の打合せ、帰りには欠落人の有無を確める。■大雪時分は元小屋から高殿までの道を踏みあける。道橋の修理、大炭出しの山子への合力。小炭使いきりには小炭頭への助精など。■毎代火立日(鑪操業二日目)前後には釜回りをする。
山番
●鉄山林の管理を鉄山師から委託された人。所の山に委しい村人が指名され、扶持米を受ける。
山奉行
●在中奉行は郡奉行の配下。■御立山御立藪の管理の他に、領内の治安維持、国境番所の管理にあたる。
よ)
よつゆず
●爐操業中、前後四隅に穴をあけ銑を流出させる。
米子鉄会所
●西伯耆産鉄を集荷し、荷崩れをなおし、再仕分して出荷の準備をするため、米子灘町一丁目川口番所近くにあった藩の建物。
ら)
拉病
●流行病。虎列拉病(コレラ)
わ)
湧荷
●鑪生産物の銑・鉧。■一代の湧荷平均は近藤家でみると、銑押で明治20〜30年代で50駄内外、40年代に60駄前後、大正期には60〜74駄。鋼(鉧)押では明治20〜40年代に50駄まで。■明治中期、銑押湧荷一駄に投入した砂鉄は並洗4〜5駄、鋼押に三駄前後。■小鉄は三駄を蹈鞴に吹いて、銑一駄涌くが上々吉。