概要
「太平記」の記述では「会見郡に大原五郎太夫安綱・・・」とありますが、江戸時代中期に書かれた「伯耆民諺記(ほうきみんげんき)では「会見の内に大原という地名がなく、それは河村郡(現倉吉あたり)の大原である」とされていて、「真守屋敷」といった地名が残っていることが「ゆかりの地」とされる由縁となっています。当地は7世紀には大原神社が建立され、また周辺には大寺院も多数あって、刀鍛冶が仕事をする場所としては適地であったとされています。
●2018年に開催した「げな談義」の資料をとりあえず添付しておきます。詳細は順次追って記事をアップします。