日野町根雨エリア

なつかしい風情を残す山間の町、ねう。


根雨・・・「ねう」という少し変わったこの町の名前。その語源はむかし、第43代元明天皇(661~731)の頃、伯耆の村々が飢饉で苦しんでいたとき、根雨神社の牛頭天王に雨乞いをしたところ、たちまち黒雲が起こり甘露のような雨がこの里から降り始め、伯耆の国一帯に、そして日本国中に広がっていき、五穀の苗は青々と茂り草木の根を潤していったといい、すなわちここが「根潤う里」であったと言うところに発しています。

 

根雨は、江戸時代から出雲街道の主要な宿駅として栄えた宿場町です。出雲の松平侯は、参勤交代の折出雲街道を通行し、根雨に休息するのを常とし、今もお茶屋(休憩所)であった緒形家や梅林家、「本陣の門」などに宿場町の面影が残っています。

またここは「たたらの里」。鉄山経営で財を成した近藤家は主屋に土蔵を配した格式ある商家のたたずまいを見せ、近藤家のはす向かいの出店近藤は、町が譲り受けて今は日野町公舎・たたらの楽校として使われています。

また「本陣の門」の下手には旧山陰合同銀行根雨支店の洋館、その山手には近藤家が寄進した旧根雨公会堂、現在は日野町民俗資料館が残り、長谷部信連公ゆかりの延暦寺、祇園橋、地元では「祇園さん」と呼ぶ根雨神社、根雨の町を一望する塔の峰などが、町全体のなつかしい風情を醸し出しています。町なかを流れる水路の清冽な流れと水音、山々から立ち上る雲も、遠来の皆さんにはとても印象深いようです。

 

交通の要衝で日野郡の中心であり、かつて国や県の出先機関が集積していたことから、根雨周辺には飲食店が割と多く、蕎麦やチャンポン麺などでよく知られた名店も多々。冬場には多くのオシドリが飛来し、少し足を伸ばせば「金持神社」、雲海が見られる明智峠も近くに。大山隠岐国立公園の一角となる「宝仏山(1005m)」の登山口は駅からも近いことから、気軽に登山を楽しむ人たちの姿もよく見られます。